CASE
事例
株式会社吉原組
挫折乗り越え夢追う
~会社更生からの奇跡の復活とジュニアボードによる人材育成~
新潟県長岡市に本社を置く株式会社吉原組。
地域を代表する総合建設業だった同社は1998年、当時県内最大と言われた454億円の負債を抱えて倒産。17年の年月を経て、自力再建を成し遂げた企業は過去にあまり例がなく、「奇跡の復活」と呼ばれています。1年1年が勝負の再生計画を成し遂げ、中長期ビジョンの構築と次世代経営人材の育成が課題となっておりました。次世代経営人材メンバー10名とジュニアボードプロジェクト第1期を実施し、中長期ビジョン「レジリエンス戦略」を構築しました。
1998年 吉原組倒産
不可能と言われた自力再建の道へ
1991年から1993年までの急激な景気後退(いわゆるバブル崩壊)から5年後の1998年、株式会社吉原組は経営破綻します。破綻前の同社は、資本金4億円、売上高は253億円、従業員247名と長岡では圧倒的No.1の総合建設業でした。当時の管財人調査報告書によると、経営悪化の要因は、外部要因として、
①景気低迷による建設不況
②金融機関の支援見直し
の2点が。
内部要因としては、
①開発型事業の失敗による借入金増大
②受注内容の悪化
③経営陣の独断専行
④金融機関の信用喪失
の4点があげられています。
錯綜する情報と混乱の中で、更生手続きが開始され、ほぼ全役員が退任する中で、当時14人いた役員の中で下から2番目の平取締役であった下園修治氏(当時51歳)が事業家管財人兼代表取締役に就任。一般更生債権は95%が免除されたものの、残りを2004年から15年間で返済するなどを骨子とした更生計画が認可され、自力再建の道を歩むことになります。
当時を振り返り、下園社長は、「2004年度から15年で返済。となると満了は2019年という事で、私はその時72歳になっているわけで、気の遠くなるような話であった。」と述懐しています。
また、スポンサー企業によるM&Aが締結寸前での破談したり、元請け会社が経営破綻したりなど、幾度かにわたる再破綻の危機を乗り越えられたのは、その都度、どこからか「神の手」が現れ、下園社長を支えてくれたからであり、そうとしか思えないような、様々な恩人との出会いによって更生手続きは終結へ向けて前進したと言います。
「奇跡の復活」と呼ばれた更生手続き終結
17年の歳月を経て、蘇った財務体質
2015年12月24日、新潟地裁長岡支部から会社更生手続きの終決決定を受けて吉原組の更生手続きは終結しました。
誰の目から見ても難しいと思われた弁済計画には、スポンサーが付かず、金融機関の支援は一切得られないという状況下で自力再建を成し遂げたため、同社の自力再建は「奇跡の復活」と呼ばれています。この苦難は、結果として、吉原組の経営体質を一変させることにつながりました。保有資産の抵当権は全て抹消され優良資産に蘇りました。また借りることが出来なかったため、金融機関からの借入金はゼロ(無借金)となり、財務内容は飛躍的に改善しました。
また、更生手続き終決後の同社の業績は、東京本店での中規模マンション施工という自社の強みと市場環境が追い風となり、4期連続で売上高が伸長しました。その後、コロナ禍の2年間は需要減退により前年比マイナスとなりましたが、前期(2022年7月期)売上高は2年振りにプラスに転じています。当期利益では、毎期順調に利益を積み重ね、終結以前の債務超過から、自己資本比率31%と回復基調にあり、売上高・経常利益ともに、再び右肩上がりの反転攻勢に転じております。
次世代経営人材の育成課題
ジュニアボードプロジェクトの実施を決断
2019年、地元長岡の金融機関を介してタナベコンサルティングとのご縁が生まれます。
当時の同社の経営課題は、大きく3点ありました。
①17年に及ぶ再建計画を成し遂げるためには下園社長の求心力は不可欠であり、その分、後継経営者の育成が遅れており課題でした。また、経営破綻当時新入社員または若手社員だったベテランの現場所長クラスや営業部長クラスが稼ぎ頭であり、この生え抜きメンバーを置いて次世代を担う人材はいないという状況でしたが、これまでに人材育成を行う余裕がなく特に経営に関する知識が不足していました。
②長岡本社と東京本店という2拠点がそれぞれ得意分野(新潟県は広い顧客基盤を活かした建設と土木の総合力、東京は中規模マンション建設現場の施工管理力)を伸ばすことで成長につながっていました。しかしながら、物理的な距離とお互いの事業特性の違いから交流が希薄化しており、拠点・部門の垣根を超えた成長戦略・事業戦略づくりが課題でした。
③第二創業者と言える下園社長の求心力による経営から組織経営体制に移行する移行期にあたり、社員の拠り所となる中長期ビジョンの構築が不可欠でした。下園社長との最初のご面談で、ジュニアボードプロジェクトを企画提案し、約1年に及ぶジュニアボードプロジェクトがスタートしました。
次世代メンバー10名でジュニアボードを実施
2020年、コロナ禍の中で始まったジュニアボードで中長期ビジョンを構築
2020年1月、ジュニアボードプロジェクトがスタートしました。
その直後にコロナウイルスによるパンデミックが発生し、2ゕ月間の中断も余儀なくされましたが、全10回をリアル開催することができました。プロジェクト当初は、現場を抱える最も多忙な所長たちが集まるプロジェクトであり、参加意欲は低く、会社の未来やビジョンを語る雰囲気ではまったくありませんでした。
しかし、徐々にメンバー1人1人に会社存続に心血を注いだ下園社長の思いが伝わることで自己変革が起きました。以降はメンバーの自主性に加えて、持ち前の勉強熱心さが相まってメンバーが1つにまとまりました。吉原組の現在の課題は何か、ライバル企業はどうなのか、10年後にどのような会社になりたいのか、毎回真剣な議論が展開されました。
ジュニアボードプロジェクトメンバーによる最終報告書は、事業戦略・組織戦略・財務収益構造で構成されており、コロナ禍による急激な景気悪化を考慮して晴パターン・曇パターンの2パターンで作り上げました。
最終的には、吉原組中長期ビジョン「自己実現によるレジリエンス戦略」となり、同社がコロナ禍による景気減速を乗り越える力となりました。現在では、ジュニアボードメンバーが中心となり、人材採用の強化、技術者の育成、現場のデジタル化など自らが提言したアクションプランを着実に実現しています。
最後に、下園社長は、同社の再建の軌跡を振り返り、このように語っております。「新吉原組は、資金も信用も人材も社屋さえも失った更生会社から再出発しました。頼れるのは残った仲間でした。その仲間のためにも、2つの使命感を持って取り組みました。
1つは、会社を『継続』するということ。二度と倒産させないということです。
2つ目は、会社を『三流から二流へさらに一流へ』アップグレードすることです。
会社は更生手続き終結から7年経った現在も未だまだ再建途上です。私たちは、かつての吉原組の捲土重来を期するものではなく、「小さくてもキラリと輝く」品格のある会社にする、そのためには、己の知識、見識、人格を人一倍磨かなくてはならないと思っております。
会社プロフィール
株式会社吉原組
[ 所在地 ]
新潟県長岡市南町2丁目4番27号 ハイタウン長岡1F
所在地 | 新潟県長岡市南町2丁目4番27号 ハイタウン長岡1F |
---|---|
設立 | 1963年(昭和38年)3月1日 |
代表者 | 代表取締役 下園修治 |
売上規模 | 第62期(2022年7月期)41億円 |
従業員数 | 67名(本社44名、東京23名) |
最新事例
- 長期ビジョン・中期経営計画策定による事業拡大
- 建設業における働き方改革と業務効率化の実現:工務部の設立と現場との役割分担による成功事例
- 設備工事業における業務見える化取り組み事例
- 中長期ビジョンの再デザインのための事業ポートフォリオ変革
コンサルタント紹介
- タナベコンサルティング
取締役
ストラテジー&ドメインコンサルティング事業部山本 剛史
- タナベコンサルティング
取締役
ストラテジー&ドメインコンサルティング事業部村上 幸一
- タナベコンサルティング
上席執行役員
九州本部高島 健二
- タナベコンサルティング
執行役員
ストラテジー&ドメインコンサルティング事業部土井 大輔